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琉球宮廷舞踊を本土へ伝えた最後の踊り手

仲本[なかもと]ウトは、着替え[きがえ]の部屋[へや]の鏡[かがみ]の前[まえ]で目[め]を閉じ[とじ]た。

1892年[ねん]、東京[とうきょう]。王府[おうふ]の建物[たてもの]は十三[じゅうさん]年[ねん]以上[いじょう]前[まえ]に消え[きえ]、琉球[りゅうきゅう]という名前[なまえ]さえも、公式[こうしき]の文書[ぶんしょ]からは静か[しずか]に消さ[けさ]れていた。それでも彼女[かのじょ]は今[いま]、かつて王[おう]の前[まえ]でしか踊ら[おどら]れなかった舞[まい]を、東京[とうきょう]の劇場[げきじょう]で披露[ひろう]しようとしていた。

六十三[ろくじゅうさん]歳[さい]の膝[ひざ]は、もう正直[しょうじき]だった。

「先生[せんせい]」声[こえ]をかけたのは、弟子[でし]の照屋[てるや]カナだった。二十二[にじゅうに]歳[さい]。本土[ほんど]で生まれ育ち[うまれそだち]、沖縄[おきなわ]の言葉[ことば]をほとんど知ら[しら]ない。それでもウトが認め[みとめ]た唯一[ゆいいつ]の弟子[でし]だった。「衣装[いしょう]の帯[おび]が少し[すこし]ずれています」ウトは目[め]を開け[あけ]ずに答え[こたえ]た。「わかっている」

本当[ほんとう]のことを言え[いえ]ば、帯[おび]のことなど気[き]にしていなかった。気[き]になっていたのは別[べつ]のことだ。今夜[こんや]の舞台[ぶたい]に、文部省[もんぶしょう]の役人[やくにん]が来る[くる]。踊り[おどり]を「文化財[ぶんかざい]として記録[きろく]する」という名目[めいもく]で。しかしウトには、その記録[きろく]が何[なん]を意味[いみ]するのかわかっていた。記録[きろく]とは、終わり[おわり]の別[べつ]の言葉[ことば]だ。生き[いき]た伝統[でんとう]を、標本[ひょうほん]瓶[びん]に入れよう[いれよう]とする行為[こうい]だ。

ウトが東京[とうきょう]行き[いき]を承諾[しょうだく]したのは、カナのためだった。自分[じぶん]のためではない。カナはすでに型[かた]を覚え[おぼえ]ていたが、舞台[ぶたい]の空気[くうき]を知ら[しら]なかった。宮廷[きゅうてい]の踊り[おどり]とは、正確[せいかく]な動作[どうさ]だけではない。所作[しょさ]のひとつひとつに息[いき]が宿り[やどり]、その息[いき]が観客[かんきゃく]に届い[とどい]て初めて[はじめて]、踊り[おどり]になる。それを言葉[ことば]で教える[おしえる]ことはできない。見せる[みせる]しかない。

「先生[せんせい]は、今夜[こんや]が最後[さいご]の舞台[ぶたい]だとおっしゃっていましたね」カナが静か[しずか]に言っ[いっ]た。質問[しつもん]ではなく、確認[かくにん]だった。

ウトはようやく目[め]を開け[あけ]た。鏡[きょう]の中[なか]に映っ[うつっ]た自分[じぶん]の顔[かお]を見る[みる]。紅[くれない]が引か[ひか]れ、かつらが乗せ[のせ]られ、黄金[おうごん]の簪[かんざし]が光る[ひかる]。この顔[かお]は、もう自分[じぶん]の顔[かお]ではない。王[おう]の前[まえ]に立っ[たっ]た、あの頃[ころ]の踊り手[おどりて]の顔[かお]だ。「最後[さいご]かどうかは、踊っ[おどっ]てみなければわからない」それは本心[ほんしん]ではなかった。最後[さいご]だということは、膝[ひざ]が知っ[しっ]ていた。

舞台[ぶたい]に出る[でる]と、客席[きゃくせき]は静か[しずか]になった。東京[とうきょう]の観客[かんきゃく]は、琉球[りゅうきゅう]の踊り[おどり]を見[み]たことがない人[ひと]がほとんどだった。彼女[かのじょ]が知っ[しっ]ている眼差し[まなざし]ではなかった。好奇心[こうきしん]、あるいは礼儀[れいぎ]から生まれ[うまれ]た沈黙[ちんもく]。王[おう]の前[まえ]の、あの緊張[きんちょう]した空気[くうき]ではない。それでも、音楽[おんがく]が始まっ[はじまっ]た瞬間[しゅんかん]、何[なん]かが変わっ[かわっ]た。

三[さん]線[せん]の音[おと]が体[からだ]に入り込ん[はいりこん]で、足[あし]が床[ゆか]を探し[さがし]た。ウトの体[からだ]は覚え[おぼえ]ていた。言葉[ことば]より古い[ふるい]記憶[きおく]として、動き[うごき]が戻っ[もどっ]てきた。膝[ひざ]の痛み[いたみ]は消え[きえ]なかった。消え[きえ]なかったが、痛み[いたみ]の向こう[むこう]に舞台[ぶたい]があった。

十五[じゅうご]分[ぶん]の舞[まい]。終わっ[おわっ]たとき、客席[きゃくせき]は一瞬[いっしゅん]、沈黙[ちんもく]した。その後[ご]、拍手[はくしゅ]が来[き]た。ウトは一礼[いちれい]して、袖[そで]に戻っ[もどっ]た。カナが待っ[まっ]ていた。その目[め]が濡れ[ぬれ]ていた。「なぜ泣い[ない]ている」とウトは言っ[いっ]た。「わからないんです。でも、泣け[なけ]てきて」ウトは何[なん]も言わ[いわ]なかった。泣く[なく]理由[りゆう]がわからない、というのは、まだ言葉[ことば]にならない何[なん]かを感じ[かんじ]ているということだ。それでいい。踊り[おどり]とはそういうものだ。意味[いみ]を知る[しる]前[まえ]に、体[からだ]が先[さき]に受け取る[うけとる]。

翌日[よくじつ]からカナの稽古[けいこ]が始まっ[はじまっ]た。ウトはもう踊ら[おどら]なかった。立っ[たっ]て見る[みる]だけだった。時々[ときどき]、手首[てくび]の角度[かくど]を直し[なおし]た。目線[めせん]の高さ[たかさ]を指摘[してき]した。ほとんど何[なん]も言わ[いわ]なかった。

三[さん]ヶ月[かげつ]後[ご]、ウトは那覇[なは]へ帰っ[かえっ]た。カナは東京[とうきょう]に残り[のこり]、琉球[りゅうきゅう]舞踊[ぶよう]を教え[おしえ]続け[つづけ]た。弟子[でし]が増え[ふえ]、やがて弟子[でし]の弟子[でし]ができた。文部省[もんぶしょう]の役人[やくにん]が危惧[きぐ]したように、踊り[おどり]は「標本[ひょうほん]」にはならなかった。ウトが那覇[なは]に着い[つい]た夜[よる]、彼女[かのじょ]は縁側[えんがわ]に座っ[すわっ]て空[そら]を見上げ[みあげ]た。東京[とうきょう]では見え[みえ]なかった星[ほし]が、ここにはあった。膝[ひざ]はまだ痛かっ[いたかっ]た。それでも彼女[かのじょ]は、少し[すこし]だけ、笑っ[わらっ]た。