解体前の古民家の天井裏から出た百年分の日記
B2 · Mystery
天井[てんじょう]裏[うら]は夏[なつ]の熱気[ねっき]がこもっていて、懐中電灯[かいちゅうでんとう]の光[ひかり]だけが唯一[ゆいいつ]の頼り[たより]だった。村瀬[むらせ]凛[りん]は額[がく]に浮かぶ[うかぶ]汗[あせ]を拭い[ぬぐい]ながら、古い[ふるい]梁[はり]の上[うえ]を慎重[しんちょう]に進ん[すすん]だ。長谷川[はせがわ]家[か]の古民家[こみんか]は来週[らいしゅう]に解体[かいたい]される予定[よてい]で、凛[りん]の仕事[しごと]は事前[じぜん]の構造[こうぞう]記録[きろく]を取る[とる]ことだった。梁[はり]の一[いち]本[ぽん]一[いち]本[ぽん]に手[て]を触れ[ふれ]ながら進む[すすむ]うち、懐中電灯[かいちゅうでんとう]の鋭い[するどい]光[ひかり]が何[なん]かに反射[はんしゃ]した。埃[ほこり]の積もっ[つもっ]た隅[すみ]に、漆塗り[うるしぬり]の木箱[きばこ]がひっそりと置か[おか]れていた。
「伊藤[いとう]さん、ちょっといいですか」と凛[りん]は下[した]に向かっ[むかっ]て声[こえ]を上げ[あげ]た。「何[なん]かあったか?」と伊藤[いとう]の野太い[のぶとい]声[こえ]が返っ[かえっ]てきた。「日記[にっき]みたいです。かなりたくさん」
箱[ばこ]の中[なか]には、布[ぬの]で丁寧[ていねい]に包ま[つつま]れた日[ひ]記帳[きちょう]が十[じゅう]数[すう]冊[さつ]並ん[ならん]でいた。一番[いちばん]古い[ふるい]ものは表紙[ひょうし]が茶色く[ちゃいろく]変色[へんしょく]しており、「大正[たいしょう]十三[じゅうさん]年[ねん]」と書か[かか]れていた。一番[いちばん]新しい[あたらしい]ものには「令和[れいわ]元年[がんねん]」とあった。凛[りん]は箱[ばこ]ごと下[した]に降り[ふり]、縁側[えんがわ]に腰[こし]を下ろし[おろし]て読み[よみ]始め[はじめ]た。書い[かい]たのはいずれも、長谷川[はせがわ]家[か]の女性[じょせい]たちだった。大正[たいしょう]から昭和[しょうわ]、平成[へいせい]、そして令和[れいわ]まで——それぞれが異なる[ことなる]筆跡[ひっせき]で、異なる[ことなる]人生[じんせい]を綴っ[つづっ]ていた。戦時[せんじ]中[ちゅう]の食糧難[しょくりょうなん]、夫[おっと]の戦死[せんし]、子供[こども]の受験[じゅけん]、息子[むすこ]の結婚式[けっこんしき]。乾い[かわい]た紙[かみ]の上[うえ]に、それぞれの日常[にちじょう]が静か[しずか]に息づい[いきづい]ていた。
しかし、凛[りん]はあるページで手[て]を止め[とめ]た。昭和[しょうわ]二十[にじゅう]年[ねん]、八[はち]月[がつ]八[よう]日[か]の記述[きじゅつ]の途中[とちゅう]で、突然[とつぜん]ページが切り取ら[きりとら]れていた。二[に]枚[まい]ではなく、四[よん]枚[まい]。丁寧[ていねい]に、まるではさみで切っ[きっ]たように、切り口[きりくち]が整然[せいぜん]と揃っ[そろっ]ていた。次[つぎ]の記述[きじゅつ]は八[はち]月[がつ]十四[じゅうよん]日[か]から再開[さいかい]しており、長崎[ながさき]への原爆[げんばく]投下[とうか]の翌日[よくじつ]——終戦[しゅうせん]の前日[ぜんじつ]から——五[いつ]日[か]分[ぶん]の記録[きろく]が、完全[かんぜん]に消え[きえ]ていた。
後[あと]の日記[にっき]も確認[かくにん]した。昭和[しょうわ]四十五[よんじゅうご]年[ねん]の一[いち]冊[さつ]に、こんな一[いち]文[ぶん]があった。「あの夏[なつ]のことは、もう誰[だれ]も覚え[おぼえ]ていないかもしれない。でも私[わたくし]は忘れ[わすれ]ない」。何[なん]を覚え[おぼえ]ているというのか。何[なん]を忘れ[わすれ]ないというのか。書い[かい]た人物[じんぶつ]の名前[なまえ]は記さ[しるさ]れていなかった。
そして令和[れいわ]元年[がんねん]の日記[にっき]。解体[かいたい]業[ぎょう]者[しゃ]から受け取っ[うけとっ]た資料[しりょう]によれば、長谷川[はせがわ]絹子[きぬこ]は享年[きょうねん]八十五[はちじゅうご]歳[さい]。彼女[かのじょ]が残し[のこし]た最後[さいご]の一[いち]冊[さつ]だ。文字[もじ]は細く[ほそく]、わずかに震え[ふるえ]ていたが、内容[ないよう]は驚く[おどろく]ほど明確[めいかく]だった。「私[わたくし]が昭和[しょうわ]二十[にじゅう]年[ねん]の日記[にっき]のページを切り取っ[きりとっ]たのは、昭和[しょうわ]五十[ごじゅう]年[ねん]のことだ。母[はは]が亡くなっ[なくなっ]た翌年[よくねん]のこと。あのページには、近所[きんじょ]の人[ひと]に密告[みっこく]されそうになりながら、母[はは]がある男性[だんせい]をこの家[いえ]に匿っ[かくまっ]たことが書か[かか]れていた」
凛[りん]は息[いき]を詰め[つめ]た。「その男性[だんせい]は朝鮮人[ちょうせんじん]の炭鉱[たんこう]労働者[ろうどうしゃ]で、名前[なまえ]は金[きん]仁秀[とよひで](キム・インス)といった。逃げ[にげ]てきた彼[かれ]を、母[はは]は三[みっ]日間[かかん]この家[いえ]の奥[おく]の部屋[へや]に隠し[かくし]た。終戦[しゅうせん]のわずか前[まえ]のことだ。彼[かれ]がその後[そのあと]どうなったか、私[わたくし]は知ら[しら]ない。ただ、母[はは]の日記[にっき]には、その三[みっ]日間[かかん]のことが細かく[こまかく]書か[かか]れていた。彼[かれ]がどれだけ怯え[おびえ]ていたか。母[はは]がどれだけ不安[ふあん]だったか。そして、彼[かれ]が去る[さる]前夜[ぜんや]に言っ[いっ]た言葉[ことば]——『あなたのような方[ほう]がいると知っ[しっ]て、少し[すこし]救わ[すくわ]れた気[き]がします』」
「なぜ切り取っ[きりとっ]たのか。戦後[せんご]三十[さんじゅう]年[ねん]が経っ[たっ]ても、私[わたくし]にはまだ怖かっ[こわかっ]たのだ。誰[だれ]かに見[み]られたら、母[はは]が非国民[ひこくみん]と呼ば[よば]れると思っ[おもっ]た。だが今[いま]、私[わたくし]には分かる[わかる]。あのページは切り取る[きりとる]べきではなかった。母[はは]のしたことは恥ず[はず]べきことではなく、誇る[ほこる]べきことだったのだから」。日記[にっき]の最後[さいご]のページには、電話番号[でんわばんごう]と短い[みじかい]一[いち]文[ぶん]が残さ[のこさ]れていた。「長谷川[はせがわ]美咲[みさき]。孫娘[まごむすめ]。この日記[にっき]を見つけ[みつけ]た方[ほう]は、どうかご連絡[れんらく]を」
凛[りん]はしばらくその番号[ばんごう]を見つめ[みつめ]た。伊藤[いとう]が縁側[えんがわ]の端[はし]から覗き込ん[のぞきこん]だ。「どうする気[き]だ?」「かけてみます」。電話[でんわ]に出[で]たのは若い[わかい]女性[じょせい]だった。凛[りん]が事情[じじょう]を話す[はなす]と、相手[あいて]は少し[すこし]間[あいだ]を置い[おい]てから「やっぱり、あったんですね」と言っ[いっ]た。声[こえ]には驚き[おどろき]よりも、長い[ながい]間[あいだ]ずっと待ち[まち]続け[つづけ]ていた人[ひと]のような静けさ[しずけさ]があった。「お祖母[そぼ]さんは、なぜここに残し[のこし]たんですか」「切り取っ[きりとっ]たページが見つから[みつから]なかったから、って言っ[いっ]ていました。日記帳[にっきちょう]そのものを残す[のこす]しかないって」。美咲[みさき]は少し[すこし]言葉[ことば]を止め[とめ]た。「でも本当[ほんとう]は……金[きん]さんのことを、誰[だれ]かに読ん[よん]でほしかったんだと思い[おもい]ます。自分[じぶん]ではもう、伝える[つたえる]言葉[ことば]を持っ[もっ]ていないって」
電話[でんわ]を切っ[きっ]た後[あと]、凛[りん]は縁側[えんがわ]に座っ[すわっ]たまましばらく動か[うごか]なかった。外[そと]では蝉[せみ]が激しく[はげしく]鳴い[ない]ていた。来週[らいしゅう]には、この縁側[えんがわ]も梁[はり]も天井[てんじょう]裏[うら]も、全部[ぜんぶ]なくなる。でも日記[にっき]に書か[かか]れた声[こえ]たちはもうここにはいない。ページを切り取っ[きりとっ]た指[ゆび]を持つ[もつ]老女[ろうじょ]も、三[みっ]日間[かかん]誰[だれ]かを匿っ[かくまっ]た母[はは]も、恐怖[きょうふ]の中[なか]で感謝[かんしゃ]を口[くち]にした男[おとこ]も——彼[かれ]らはとうの昔[むかし]に、別[べつ]のどこかへ移り住ん[うつりすん]でいた。凛[りん]は日記帳[にっきちょう]を一[いち]冊[さつ]ずつ、もとの布[ぬの]に包み直し[つつみなおし]た。