天狗が守る峠の三つの掟
A2 · Myths & Legends
峠[とうげ]の村[むら]には、古い[ふるい]言い伝え[いいつたえ]があった。高い[たかい]山[やま]の峠[とうげ]を越える[こえる]とき、天狗[てんぐ]が旅人[たびびと]に三[みっ]つの掟[おきて]を守ら[まもら]せるという話[はなし]だ。ある秋[あき]の夕方[ゆうがた]、ヒロという若い[わかい]男[おとこ]が峠[とうげ]を歩い[あるい]ていた。ヒロの父[ちち]は病気[びょうき]だった。峠[とうげ]の向こう[むこう]の村[むら]に、よい薬師[やくし]がいた。ヒロは急い[いそい]でいた。
峠[とうげ]の入り口[いりぐち]に、古い[ふるい]石[いし]の看板[かんばん]があった。そこに三[みっ]つの掟[おきて]が書い[かい]てあった。一[ひと]つ目[め]:道[みち]を外れる[はずれる]な。二[ふた]つ目[め]:天狗[てんぐ]に嘘[うそ]をつくな。三[みっ]つ目[め]:峠[とうげ]を越え[こえ]たら、後ろ[うしろ]を見る[みる]な。ヒロは読ん[よん]で、歩き[あるき]始め[はじめ]た。峠[とうげ]の道[みち]は暗く[くらく]て細かっ[ほそかっ]た。木々[きぎ]は高く[たかく]、空[そら]はほとんど見え[みえ]なかった。風[かぜ]は強く[つよく]、木の葉[このは]が激しく[はげしく]揺れ[ゆれ]た。
しばらくして、道[みち]の横[よこ]に美しい[うつくしい]赤い[あかい]花[はな]が咲い[さい]ていた。ヒロは立ち止まっ[たちどまっ]た。「父[ちち]のために取ろう[とろう]か」と思っ[おもっ]た。しかし、すぐに思い出し[おもいだし]た。道[みち]を外れ[はずれ]てはいけない。ヒロは花[はな]を見つめ[みつめ]てから、歩き[あるき]続け[つづけ]た。峠[とうげ]の真ん中[まんなか]で、大きな[おおきな]天狗[てんぐ]が突然[とつぜん]現れ[あらわれ]た。赤い[あかい]顔[かお]、黒い[くろい]羽[はね]、そして長い[ながい]鼻[はな]。声[こえ]はとても深かっ[ぶかかっ]た。「旅人[たびびと]よ、どこへ行く[いく]」と天狗[てんぐ]は聞い[きい]た。「父[ちち]が病気[びょうき]です。峠[とうげ]の向こう[むこう]に薬師[やくし]がいます。急い[いそい]でいます」とヒロは答え[こたえ]た。「嘘[うそ]か」と天狗[てんぐ]は静か[しずか]に聞い[きい]た。「嘘[うそ]ではありません。本当[ほんとう]のことです」とヒロは言っ[いっ]た。天狗[てんぐ]はヒロをじっと見[み]た。長い[ながい]沈黙[ちんもく]があった。そして、「よし、通れ[とおれ]」と言っ[いっ]た。
ヒロは歩い[あるい]た。峠[とうげ]は長かっ[ながかっ]た。足[あし]が痛く[いたく]なった。空[そら]は暗く[くらく]なってきた。しかし、彼[かれ]は歩き[あるき]続け[つづけ]た。ついに、峠[とうげ]の出口[でぐち]が見え[みえ]た。明るい[あかるい]夕空[ゆうぞら]が見え[みえ]た。ヒロはほっとした。出口[でぐち]を越え[こえ]たとき、ヒロは天狗[てんぐ]のことを思っ[おもっ]た。「危険[きけん]な峠[とうげ]を通し[とおし]てくれた。お礼[おれい]を言い[いい]たい」。彼[かれ]は後ろ[うしろ]を向こう[むこう]とした。その瞬間[しゅんかん]、天狗[てんぐ]の強い[つよい]声[こえ]が響い[ひびい]た。「振り返る[ふりかえる]な!」ヒロは止まっ[とまっ]た。心臓[しんぞう]が速く[はやく]打っ[うっ]た。「なぜですか」とヒロは前[まえ]を見[み]ながら聞い[きい]た。しばらくして、天狗[てんぐ]は静か[しずか]な声[こえ]で答え[こたえ]た。「昔[むかし]、感謝[かんしゃ]の目[め]で私[わたくし]を見[み]た旅人[たびびと]がいた。その人[ひと]は私[わたくし]の顔[かお]を見[み]て、山[やま]を離れ[はなれ]られなくなった。百[ひゃく]年間[ねんかん]、私[わたくし]の隣[となり]にいた」。ヒロは何[なん]も言え[いえ]なかった。「私[わたくし]は寂しく[さびしく]なかった。しかし、その人[ひと]は家族[かぞく]に会え[あえ]なかった。それが、私[わたくし]にはとても悲しかっ[かなしかっ]た」。「わかりました」とヒロはゆっくり言っ[いっ]た。「早く[はやく]行け[いけ]。父[ちち]のそばにいろ」と天狗[てんぐ]は言っ[いっ]た。ヒロは前[まえ]を向い[むい]て歩き[あるき]出し[だし]た。目[め]が少し[すこし]濡れ[ぬれ]ていた。それから、ヒロは薬師[やくし]を見つけ[みつけ]た。父[ちち]の病気[びょうき]はよくなった。しかし、ヒロはあの夜[よる]の言葉[ことば]を忘れ[わすれ]なかった。掟[おきて]は罰[ばつ]ではなかった。それは、天狗[てんぐ]の深い[ふかい]悲しみ[かなしみ]から生まれ[うまれ]たものだった。