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Vlna, kterou Kacušika Hokusai nevzdal

北斎[ほくさい]の部屋[へや]には、丸め[まるめ]た紙[かみ]が山[やま]のように積もっ[つもっ]ていた。弟子[でし]の重[じゅう]八[はち]が来[き]たとき、師匠[ししょう]の葛飾[かつしか]北斎[ほくさい]はまた新しい[あたらしい]紙[かみ]の前[まえ]に座っ[すわっ]ていた。七十一[ななじゅういち]歳[さい]の老人[ろうじん]が、夜[よる]も昼[ひる]もなく働い[はたらい]ていた。

「先生[せんせい]」と重[じゅう]八[はち]は言っ[いっ]た。「版元[はんもと]さんが来週[らいしゅう]、絵[え]を受け取り[うけとり]に来[き]ます。『富嶽[ふがく]三十六[さんじゅうろく]景[けい]』の中[なか]の波[なみ]の絵[え]がまだできていません。どうするつもりですか」

北斎[ほくさい]は答え[こたえ]なかった。筆[ふで]を持っ[もっ]て、また紙[かみ]に向かっ[むかっ]ていた。

重[じゅう]八[はち]はため息[ためいき]をついた。この『富嶽[ふがく]三十六[さんじゅうろく]景[けい]』というシリーズは、北斎[ほくさい]が長い[ながい]間[あいだ]夢見[ゆめみ]ていた大きな[おおきな]仕事[しごと]だった。富士山[ふじやま]を三十六[さんじゅうろく]の違う[ちがう]場所[ばしょ]から描く[えがく]というシリーズで、すでに多く[おおく]の絵[え]ができていた。でも、北斎[ほくさい]が一番[いちばん]大切[たいせつ]にしていた「波[なみ]の絵[え]」だけが、まだ終わっ[おわっ]ていなかった。

問題[もんだい]は、北斎[ほくさい]が納得[なっとく]できないことだった。何十[なんじゅう]枚[まい]も描い[えがい]た。でも、毎回[まいかい]、北斎[ほくさい]は首[くび]を振っ[ふっ]て、紙[かみ]を丸め[まるめ]て捨て[すて]た。「まだ違う[ちがう]」と言い[いい]ながら。

「波[なみ]は生き[いき]ている」と北斎[ほくさい]はよく言っ[いっ]ていた。「形[かたち]だけ描い[えがい]ても、それは波[なみ]じゃない」

重[じゅう]八[はち]には、師匠[ししょう]が何[なん]を探し[さがし]ているのか、正確[せいかく]にはわからなかった。でも、その真剣[しんけん]な目[め]を見る[みる]と、何[なん]も言え[いえ]なかった。

その夜[よる]遅く[おそく]、重[じゅう]八[はち]が眠っ[ねむっ]た後[あと]も、北斎[ほくさい]は一人[ひとり]で続け[つづけ]た。ろうそくの光[ひかり]の中[なか]で、また新しい[あたらしい]紙[かみ]を広げ[ひろげ]た。今回[こんかい]は、違う[ちがう]考え方[かんがえかた]をした。波[なみ]の「形[かたち]」ではなく、波[なみ]が「持っ[もっ]ている力[ちから]」を描こう[えがこう]と思っ[おもっ]た。海[うみ]の怒り[いかり]。一瞬[いっしゅん]で船[ふね]を飲み込む[のみこむ]力[ちから]。でも、その向こう[むこう]に、静か[しずか]に立っ[たっ]ている富士山[ふじやま]。

北斎[ほくさい]の手[て]が動き始め[うごきはじめ]た。止まら[とまら]なかった。波[なみ]の先端[せんたん]の白い[しろい]泡[あわ]が指[ゆび]のように広がっ[ひろがっ]た。その下[した]の深い[ふかい]青[あお]が渦[うず]を巻い[まい]た。遠く[とおく]に小さな[ちいさな]富士山[ふじやま]が見え[みえ]た。そして、波[なみ]の下[もと]で必死[ひっし]に漕い[こい]でいる三[さん]艘[そう]の船[ふね]。人間[にんげん]の小さ[ちいさ]さと、自然[しぜん]の巨大[きょだい]さが、一[いち]枚[まい]の絵[え]の中[なか]に入っ[はいっ]た。

朝[あさ]になった。重[じゅう]八[はち]が起き[おき]てきたとき、北斎[ほくさい]は疲れ[つかれ]た顔[かお]で床[ゆか]に座っ[すわっ]ていた。でも、手[て]に持っ[もっ]ている絵[え]を見[み]たとき、重[じゅう]八[はち]は息[いき]をのんだ。

「先生[せんせい]、これは…」

大きな[おおきな]波[なみ]が、まるで生き物[いきもの]のように腕[うで]を広げ[ひろげ]ていた。波[なみ]の先端[せんたん]は鋭い[するどい]爪[つめ]のように見え[みえ]た。そして、富士山[ふじやま]が小さく[ちいさく]、でもどこか強く[つよく]、遠く[とおく]に立っ[たっ]ていた。

「すごいです」と重[じゅう]八[はち]は言っ[いっ]た。「本当[ほんとう]に波[なみ]が動い[うごい]ているみたいです」

北斎[ほくさい]は少し[すこし]笑っ[わらっ]た。でも、その笑顔[えがお]の中[なか]に、何[なん]か寂しい[さびしい]ものがあった。「七十[ななじゅう]年[ねん]描い[えがい]てきたのに、まだわからないことがたくさんある」と北斎[ほくさい]は静か[しずか]に言っ[いっ]た。「九十[きゅうじゅう]になれば、もっとわかるかもしれない。百[ひゃく]になれば、本当[ほんとう]の意味[いみ]で線[せん]が引ける[ひける]かもしれない」

重[じゅう]八[はち]は何[なん]も言え[いえ]なかった。七十一[ななじゅういち]歳[さい]の老人[ろうじん]が、まだずっと先[さき]を見[み]ていた。北斎[ほくさい]は立ち上がり[たちあがり]、窓[まど]の外[そと]の朝[あさ]の空[そら]を見[み]た。「重[じゅう]八[はち]、版元[はんもと]に届け[とどけ]てくれ」と北斎[ほくさい]は言っ[いっ]た。「でも、私[わたくし]はもう次[つぎ]の絵[え]を考え[かんがえ]ている」

その波[なみ]の絵[え]は後[あと]に『神奈川[かながわ]沖[おき]浪裏[なみうら]』と呼ば[よば]れた。世界中[せかいじゅう]の人々[ひとびと]がその絵[え]を見[み]て、波[なみ]の中[なか]に何[なん]かを感じ[かんじ]た。しかし、北斎[ほくさい]自身[じしん]は最後[さいご]まで、自分[じぶん]の絵[え]に「まだ足り[たり]ない」と思い[おもい]続け[つづけ]た。それが、北斎[ほくさい]が諦め[あきらめ]なかった本当[ほんとう]の理由[りゆう]だった。