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El corredor de la cuarta sección que se negó a retirarse en Hakone Ekiden

十五キロ地点を過ぎたあたりで、宮本悠斗の右足首に鋭い痛みが走った。それは単なる疲労ではなく、骨の奥底から響くような、拒絶しがたい信号だった。

最初は気のせいだと思い込もうとした。冬の冷たい空気の中、体はすでに限界に近づいていたし、長距離走において痛みのひとつやふたつは当然のことだと自分に言い聞かせた。しかし二百メートル進むごとに、その痛みは確実に増していった。まるで誰かが足首の内側に錐を刺し、それをゆっくりと回しているような、そんな生々しい感覚だった。

「宮本、無理するな。」伴走車の窓から、竹田監督の声が飛んできた。マイクを通した声は少し歪んでいたが、その言葉に含まれた切実な心配の色は十分に伝わった。竹田監督は口元を引き結び、厳しい表情でこちらを見ている。宮本の走り方が明らかに不自然になっていることに、とっくに気づいていたのだろう。

「大丈夫です。」宮本は前を向いたまま答えた。嘘ではない、と彼は思った。少なくとも、まだ走れている。まだ倒れてはいない。それは「大丈夫」と呼んでいい状態のはずだ。箱根駅伝の四区は、平塚から小田原まで二十一キロ弱を走る区間だ。海沿いの単調な景色が続き、強い海風がランナーの体力を容赦なく奪うことから、「魔の四区」と恐れられている。宮本がこの区間を志望したとき、チームメイトたちは少し驚いた顔をした。エースは通常、もっと注目度の高い区間を走るものだからだ。しかし宮本には、どうしても四区を走らなければならない理由があった。

三年前、この同じ場所で、宮本の兄、雄一郎は棄権した。左のハムストリングを断裂したのは十六キロ付近だったらしい。雄一郎は倒れながらもタスキを離さなかったという。それでも最終的には収容車に乗らざるを得なかった。チームのタスキは、そこで途切れた。あのとき宮本は高校一年生だった。兄がゴールしてくるのを待っていた中継所のテレビで、その映像を見た。解説者が静かな声で「棄権となりました」と告げた瞬間、隣に立っていた父親が何も言わずにその場を離れたのを、宮本は今でも鮮明に覚えている。兄を責めるつもりはなかった。今も、まったくない。怪我をした選手に走り続けろとは言えない。それは誰もが知っている。しかし——と宮本は思う。あのタスキが途切れたことは、単なる事実として雄一郎の中に今も残っているはずだ。完結しなかった何かとして。だから宮本は、この四区を走っている。

「宮本。」今度の竹田監督の声は、静かだった。静かすぎるくらいだ。「次の計測点で確認する。それ以上悪化しているようなら、棄権させる。わかったな。」宮本は返事をしなかった。監督の声には、有無を言わせない重みがあった。しかし同時に、宮本には聞こえていた——「させる」という言葉の前に、一瞬だけ間があったことを。それはほんの少しの躊躇だったかもしれない。でも宮本は、その間に監督の葛藤を感じた。残り五キロ。宮本は歯を食いしばった。足首の痛みは、最初の「鋭い感覚」から「焼けるような鈍い痛み」に変わっていた。どちらにしても、あまりよくない状態だ。それでも足は動いていた。肩に下がったタスキの重さを、宮本は改めて感じた。これを渡すまでは、終われない。渡さない限り、自分の区間は完結しない。単純なことだ。単純だからこそ、覆しようがない。

残り二キロを切ったとき、沿道の声援が急に大きくなった。名前を呼ぶ声がした。知らない人が自分の名前を呼んでいる——それが不思議なくらい温かく、宮本の胸に刺さった。中継所が見えてきた。次の走者、四年生の橘が、足を揃えて待っていた。目が合った瞬間、橘は何も言わなかった。ただ、少しだけ頷いた。その一つの仕草に、宮本は「わかってる」という言葉を聞いた気がした。ラスト百メートル。宮本はスピードを上げた。足首が悲鳴を上げた。それでも上げた。タスキを受け取るために橘が手を伸ばす。宮本はそこへ、あらん限りの力でタスキを渡した。橘の背中が視界から消えていく。宮本はその場に膝をついた。息が続かなかった。足首の感覚がなかった。でも——タスキは、繋がった。

後で知ったことだが、宮本の右足首には疲労骨折があった。医師は「よく最後まで走れたな」と言った。兄の雄一郎には、その夜に電話した。「走ったよ。四区。」「……知ってる。テレビで見てた。」少しの間があった。「馬鹿だな、お前。」声が、少し掠れていた。宮本は笑った。それだけでよかった。