関東大震災の翌朝に炊き出しを始めた板前
B1 · History
1923年[ねん]9月[がつ]2日[にち]の夜明け[よあけ]、田中[たなか]源蔵[げんぞう]は瓦礫[がれき]の中[なか]に一人[ひとり]で立っ[たっ]ていた。
前日[ぜんじつ]の昼すぎ[ひるすぎ]、関東[かんとう]地方[ちほう]を巨大[きょだい]な地震[じしん]が襲っ[おそっ]た。マグニチュード7.9の揺れ[ゆれ]が街[まち]を崩し[くずし]、その後[そのあと]に広がっ[ひろがっ]た火[ひ]が残っ[のこっ]たものをすべて焼き[やき]尽くし[つくし]た。源蔵[げんぞう]が20年[ねん]かけて育て[そだて]てきた料理屋[りょうりや]も、跡形[あとかた]もなく消え[きえ]た。
「終わり[おわり]だ」と彼[かれ]はつぶやいた。
でも、ふと気[き]がついた。店[みせ]の裏[うら]にある土蔵[どぞう]が、まだ立っ[たっ]ていた。火[ひ]を免れ[まぬがれ]たのだ。中[なか]を確認[かくにん]すると、米[べい]が五[ご]俵[ひょう]、醤油[しょうゆ]、梅干し[うめぼし]、そして大きな[おおきな]釜[かま]がいくつかあった。
そこへ、弟子[でし]の健吉[けんきち]が煤[すす]だらけの顔[かお]で走っ[はしっ]てきた。
「先生[せんせい]、良かっ[よかっ]た。生き[いき]ていましたか」
「ああ。お前[おまえ]も無事[ぶじ]か」
「はい。でも……先生[せんせい]、この米[べい]を売り[うり]ましょう。今[いま]なら高く[たかく]売れ[うれ]ます。店[みせ]を建て直す[たてなおす]お金[おかね]になります」
源蔵[げんぞう]は少し[すこし]考え[かんがえ]た。健吉[けんきち]の言う[いう]通り[とおり]かもしれない。街[まち]のどこを見[み]ても、食べ物[たべもの]を持っ[もっ]ている人[ひと]はいなかった。米[べい]は今[いま]、金[きん]より価値[かち]があるかもしれなかった。
しかし、源蔵[げんぞう]は首[くび]を横[よこ]に振っ[ふっ]た。
「俺[おれ]たちは板前[いたまえ]だ。作っ[つくっ]て、食わ[くわ]せる。それが俺[おれ]たちの仕事[しごと]だ」
健吉[けんきち]は何[なん]も言え[いえ]なかった。
源蔵[げんぞう]は釜[かま]を外[そと]に持ち出し[もちだし]、木切れ[きぎれ]で火[ひ]をおこした。手[て]が自然[しぜん]に動い[うごい]た。米[べい]を研い[とい]で、水[みず]を量り[はかり]、蓋[ふた]を置い[おい]た。それは20年間[ねんかん]、毎日[まいにち]繰り返し[くりかえし]てきた動き[うごき]だった。
白い[しろい]煙[けむり]が朝[あさ]の空[そら]に上がっ[あがっ]ていくと、人々[ひとびと]が少し[すこし]ずつ集まっ[あつまっ]てきた。子供[こども]を抱い[いだい]た母親[ははおや]、血[ち]が出[で]ている腕[うで]を押さえ[おさえ]た老人[ろうじん]、夜通し[よどおし]泣い[ない]ていたのか目[め]が真っ赤[まっか]な若い[わかい]女性[じょせい]。みんな、何[なん]も持っ[もっ]ていなかった。言葉[ことば]も、食べ物[たべもの]も。
源蔵[げんぞう]は黙っ[だまっ]て、握り飯[にぎりめし]を一[ひと]つずつ手渡し[てわたし]た。
一人[ひとり]の少女[しょうじょ]が前[まえ]に来[き]た。8歳[さい]くらいで、着物[きもの]は破れ[やぶれ]、髪[かみ]は乱れ[みだれ]ていた。彼女[かのじょ]は何[なん]も言わ[いわ]なかった。ただ、小さな[ちいさな]両手[りょうて]を差し出し[さしだし]た。
源蔵[げんぞう]はその手[て]に握り飯[にぎりめし]を置い[おい]た。少女[しょうじょ]はすぐに口[くち]に入れ[いれ]た。そして、かすかに笑っ[わらっ]た。
その笑顔[えがお]を見[み]た瞬間[しゅんかん]、源蔵[げんぞう]の胸[むね]に熱い[あつい]ものが込み上げ[こみあげ]てきた。目[め]の奥[おく]が痛く[いたく]なった。
店[みせ]は燃え[もえ]た。客[きゃく]も散っ[ちっ]た。でも、米[べい]を炊く[たく]技[わざ]も、包丁[ほうちょう]の腕[うで]も、誰[だれ]かを喜ば[よろこば]せたいという気持ち[きもち]も、地震[じしん]には奪え[うばえ]なかった。それだけは確か[たしか]だった。
隣[となり]に立っ[たっ]ていた健吉[けんきち]が、静か[しずか]に言っ[いっ]た。
「先生[せんせい]、俺[おれ]も手伝い[てつだい]ます」
源蔵[げんぞう]はうなずいた。
その日[ひ]、二人[ふたり]は夕方[ゆうがた]まで炊き出し[たきだし]を続け[つづけ]た。米[べい]が全部[ぜんぶ]なくなるまで。