Mies, joka suojelee Yakushiman tuhatvuotisia setrejä
B1 · Nature & Adventure
「あの木[き]は、私[わたくし]より長く[ながく]生き[いき]ている。だから、私[わたくし]が守ら[まもら]なければなりません。」田中[たなか]守[まもる]は、そう言い[いい]ながら登山[とざん]道[どう]を進ん[すすん]だ。彼[かれ]は六十六[ろくじゅうろく]歳[さい]だが、その足どり[あしどり]は若い[わかい]人[ひと]のように軽やか[かろやか]だった。
私[わたくし]は東京[とうきょう]から来[き]た記者[きしゃ]だ。「屋久島[やくしま]のガイドを取材[しゅざい]してください」と編集長[へんしゅうちょう]に言わ[いわ]れて、この島[しま]に来[き]た。正直[しょうじき]に言う[ゆう]と、最初[さいしょ]はあまり乗り気[のりき]ではなかった。木[き]の話[はなし]なんて、どうせ退屈[たいくつ]だろうと思っ[おもっ]ていたのだ。
しかし、田中[たなか]さんと会っ[あっ]た瞬間[しゅんかん]、その考え[かんがえ]が変わり[かわり]始め[はじめ]た。
屋久島[やくしま]は鹿児島[かごしま]の南[みなみ]にある島[しま]で、島[しま]の九[きゅう]割[わり]以上[いじょう]が山[やま]と森[もり]に覆わ[おおわ]れている。その中[なか]には、樹齢[じゅれい]千[せん]年[ねん]を超える[こえる]屋久[やく]杉[すぎ]が今[いま]も生き[いき]ている。縄文[じょうもん]杉[すぎ]は特に[とくに]有名[ゆうめい]で、推定[すいてい]樹齢[じゅれい]は七千[ななせん]年[ねん]とも言わ[いわ]れている。
田中[たなか]さんは四十[よんじゅう]年間[ねんかん]、毎日[まいにち]のようにこの森[もり]に入り[はいり]、観光客[かんこうきゃく]をガイドしてきた。
その朝[あさ]、私たち[わたしたち]は暗い[くらい]うちに出発[しゅっぱつ]した。屋久島[やくしま]の山道[さんどう]は険しく[けわしく]、雨[あめ]もよく降る[ふる]。「屋久島[やくしま]は一[いち]月[がつ]に三十五[さんじゅうご]日[にち]雨[う]が降る[ふる]」という地元[じもと]の有名[ゆうめい]な言葉[ことば]があるほどだ。その日[ひ]も、出発[しゅっぱつ]してすぐに小雨[こさめ]が降り[ふり]始め[はじめ]た。
「雨[あめ]は森[もり]の恵み[めぐみ]です」と田中[たなか]さんは言っ[いっ]た。「でも、最近[さいきん]は雨[あめ]の降り[ふり]方[かた]が変わっ[かわっ]てきた気[き]がします。昔[むかし]より強く[つよく]、短い[みじかい]。」私[わたくし]は彼[かれ]の言葉[ことば]をメモに書き留め[かきとめ]た。
一[いち]時間[じかん]ほど歩い[あるい]たとき、田中[たなか]さんが急[きゅう]に立ち止まっ[たちどまっ]た。「どうしましたか?」と私[わたくし]は聞い[きい]た。彼[かれ]は何[なん]も答え[こたえ]ずに、道[みち]を外れ[はずれ]て茂み[しげみ]の中[なか]に入っ[はいっ]ていった。私[わたくし]も後[あと]を追っ[おっ]た。そこには、太い[ふとい]屋久[やく]杉[すぎ]の木[き]があった。幹[みき]の周り[まわり]は五[ご]メートル以上[いじょう]あるだろう。田中[たなか]さんはその木[き]の根元[ねもと]をじっと見つめ[みつめ]ていた。
「見[み]てください」と彼[かれ]は静か[しずか]に言っ[いっ]た。近づい[ちかづい]て見る[みる]と、根[ね]の部分[ぶぶん]に新しい[あたらしい]傷[きず]があった。誰[だれ]かがノコギリで切っ[きっ]たような跡[あと]だ。屋久[やく]杉[すぎ]の木片[もくへん]は、お土産[みやげ]や記念品[きねんひん]として売れる[うれる]ため、こっそり持ち去る[もちさる]人[ひと]がいるという話[はなし]は聞い[きい]たことがあった。
「また、こんなことが…」田中[たなか]さんの声[こえ]は低く[ひくく]、沈ん[しずん]でいた。怒っ[おこっ]ているのか、悲しん[かなしん]でいるのか、私[わたくし]にはわからなかった。しかし、彼[かれ]が傷[きず]の部分[ぶぶん]にそっと手[て]を当て[あて]たとき、私[わたくし]は急[きゅう]に恥ずかしく[はずかしく]なった。取材[しゅざい]のための質問[しつもん]ばかり考え[かんがえ]ていた自分[じぶん]が、急[きゅう]に小さく[ちいさく]感じ[かんじ]られた。
「この木[き]は何百[なんびゃく]年[ねん]も生き[いき]てきた。それを、記念品[きねんひん]のために傷つける[きずつける]人[ひと]がいる。」彼[かれ]はそう言っ[いっ]てから、少し[すこし]間[あいだ]を置い[おい]た。「でも、私[わたくし]は諦め[あきらめ]ません。」
田中[たなか]さんは毎年[まいとし]、何百[なんびゃく]人[にん]もの観光客[かんこうきゃく]に屋久[やく]杉[すぎ]の大切[たいせつ]さを伝え[つたえ]てきた。今[いま]では彼[かれ]の教え子[おしえご]たちが新しい[あたらしい]ガイドになり、同じ[おなじ]メッセージを次[つぎ]の世代[せだい]に伝え[つたえ]ている。「一人[ひとり]の力[ちから]は小さい[ちいさい]。でも、少し[すこし]ずつ広がっ[ひろがっ]ていく」と彼[かれ]は言う[ゆう]。
下山[げざん]する頃[ころ]には、雨[あめ]はすっかり上がっ[あがっ]ていた。夕日[ゆうひ]が木々[きぎ]の間[あいだ]から差し込み[さしこみ]、濡れ[ぬれ]た葉[は]が光っ[ひかっ]ていた。「田中[たなか]さんは、なぜ四十[よんじゅう]年間[ねんかん]も続け[つづけ]られたんですか?」と私[わたくし]は聞い[きい]た。彼[かれ]は少し[すこし]考え[かんがえ]てから、静か[しずか]に笑っ[わらっ]た。「この森[もり]が、続け[つづけ]させてくれるんです。」
その言葉[ことば]はシンプルだった。でも、その日[ひ]に見[み]たこと、聞い[きい]たこと、感じ[かんじ]たことが、全部[ぜんぶ]そこに詰まっ[つまっ]ているような気[き]がした。東京[とうきょう]に戻っ[もどっ]てから、私[わたくし]は記事[きじ]を書い[かい]た。最初[さいしょ]に考え[かんがえ]ていたタイトルは「屋久島[やくしま]の有名[ゆうめい]なガイド」だった。しかし、最終的[さいしゅうてき]に私[わたくし]はこう書い[かい]た。「屋久島[やくしま]の千[せん]年[ねん]杉[すぎ]を守る[まもる]男[おとこ]」と。