Puoliverinen nainen, joka eli tulkkina Bakumatsu-kauden Nagasakissa
B2 · History
安政四年(一八五七年)の初夏、長崎奉行所の役人が楠本イネの診療所を訪ねてきたのは、夜も遅い時刻だった。
イネは当時三十歳。父はかつて出島に勤務したオランダ商館付きの医師、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトだった。しかし彼女がまだ幼い頃、父は禁制の日本地図を持ち出そうとしたとして国外に追放され、以来、二度と娘の顔を見ることはなかった。青みがかった目を持ち、黒い髪をした彼女は、長崎の街では「オランダイネ」と呼ばれていた。どこにも属さない女、という意味が、その呼び名には静かに滲んでいた。
役人の名は瀬川という。彼は畳に手をついて頭を下げ、珍しくも遠慮がちな声で言った。「先生、折り入ってお願いがございます。イギリスの船が今夜、港に入りました。船員の一人が高熱で、命が危ない状態だと申しています。オランダ語の通詞では言葉が通じず、難儀しております」
イネは黙って話を聞いた。表情を変えなかったが、胸の中では複雑な感情が渦巻いていた。医師として行かなければならない——その思いは即座に湧いた。しかし同時に、別の声もあった。今の長崎は、「攘夷」の気運が高まりつつある時代だ。外国船に近づく者、ましてや外国人の命を救う者は、尊王攘夷派の浪人に命を狙われかねない。そしてイネ自身が半分外国人の血を持つという事実は、すでに彼女を標的にしやすい存在にしていた。
「英語で話せる者が、ほかにいないのですか」と彼女は静かに尋ねた。「おりません。蘭語ならば通詞がおりますが、イギリス人の船長は蘭語を解さず、身振りでしか意思が通じない状態で。先生ならば英語の医学書を読んでおられると伺いました」
それは事実だった。イネは師匠の二宮敬作のもとで医術を学んだ後、英語の医学書も独学で読んでいた。断片的にではあるが、英語で意思を伝えることはできた。ただし「通訳」と呼べるほどの流暢さがあるかどうか、自分でも確信は持てなかった。「わかりました」。彼女は短くそう言い、薬箱を手に取った。
港に着くと、イギリス船の甲板には数人の船員が不安そうに立っていた。ランタンの光の中、彼らはイネを見て一瞬、困惑した様子を見せた——女医師、しかも見た目が日本人とも西洋人ともつかない人物であることに。しかし船長は礼儀正しく、手を差し伸べた。「Thank you for coming, Doctor.」イネは患者を診察した。腸チフスの疑いがあった。適切な処置を指示しながら、彼女は片言の英語と蘭語の医学用語を交えて船長に説明した。完璧な会話ではなかった。しかし意味は伝わった。それで十分だった。
帰り際、船長がふと聞いた。「あなたはどこで英語を学んだのですか」「書物で」とイネは答えた。「父が残していった書物で」。それ以上は言わなかった。父が残した書物とは、シーボルトが追放の際に置いていかざるを得なかった植物図鑑や医学書のことだ。イネがその中に見出したのは、父の面影ではなく、ただの言語——外の世界へと続く、冷たく実用的な鍵だった。
翌朝、患者の熱は少し下がっていた。峠は越えた。数日後、奉行所からは礼状が届いた。しかしその文面には「イネの活躍」という言葉は一文字もなく、ただ「長崎の者の尽力によって」と書かれていた。イネはその礼状を読んで、静かに苦笑した。慣れた感覚だった。必要とされるとき、人は彼女を呼ぶ。しかし記録されるとき、人は彼女を消す。それでも彼女は薬箱を棚に戻し、診療所の戸を開け、次の患者を待った。この港町で生きるとは、そういうことだった。