Satu Pilar yang Diukir oleh Tukang Kayu Kuil Terakhir yang Mewarisi Keahlian Sembilan Abad
B2 · Culture & Travel
田中匠造は、鑿(のみ)を握るたびに、指先に木の息吹を感じると言う。七十一歳の手は節だらけで、ヒノキの樹脂で黄ばんでいるが、その動きに迷いは一切ない。奈良の山奥にある春日大社の末社が、修復の時期を迎えていた。文化庁の調査官が「現代技術で十分です」と伝えてきたとき、匠造はただ首を振った。「コンクリートで固めた神様は、もう神様じゃない」。その言葉は記録されることもなく、杉林の冷たい空気に溶けた。
宮大工とは、釘を一本も使わずに神社仏閣を建て、修復する職人のことだ。木を読み、木に合わせ、木と交渉する。九百年にわたって受け継がれてきたその技術は、今や匠造ただ一人の手の中にあった。三年前、最後の弟子が「食えない仕事は続けられない」と言い残して去った。怒りはなかった。あったのは、想像以上に深い静けさだった。それが何を意味するのか、匠造自身もまだ答えを出せずにいた。このまま自分の代で、この技術は途絶えてしまうのか。
修復の最終工程として、中央の心柱(しんばしら)を据える日がやってきた。これを納めれば、八百年の歴史を持つこの小さな社は、また数百年を生き延びるかもしれない。もし失敗すれば、この技術で修復できる者はもう誰もいない。匠造は、柱の表面を撫でた。木は、まるで呼吸をしているかのように、わずかに温かみを感じさせた。
「その木目(もくめ)、どうやって読むんですか」。声がしたのは昼前だった。振り返ると、二十代前半の女性がスケッチブックを抱えて立っていた。桜井七海と名乗り、京都の建築学科の学生だと言う。もう三週間、毎朝この現場に来ているが、声をかける機会を探し続けていたと打ち明けた。匠造はしばらく答えなかった。彼女を一瞥し、また柱に目を戻してから、ただ「触れ」と言った。
七海は躊躇(ためら)いながら柱に手を当てた。「冷たい…でも、なんか、生きてる感じがします」「千年生きた木は、千年のことを覚えている」と匠造は低い声で言った。「俺たちがすることは、その記憶を壊さないことだ。木は正直だ。無理をさせれば必ず歪む。だからこそ、対話が必要なんだ」。
その午後、匠造は何も教えようとしなかった。しかし、鑿が木に入る角度を変えるとき、動きがほんの少しだけ遅くなった。まるで見られることを意識しているかのように、彼は丁寧に、そして厳かに作業を進めた。七海はスケッチブックを膝に置いたまま、ただその背中を見つめていた。心柱が所定の位置に収まったのは夕暮れ時だった。どこかで鹿が鳴いた。二人は何も言わなかった。ただ、社が完成したという確かな重みが、その場を支配していた。
帰り際、七海が言った。「また来てもいいですか」。匠造はすぐには答えなかった。鑿を丁寧に布で拭きながら、ふと手が止まった。彼は空を見上げ、それから静かに言った。「好きにしろ」。七海は翌日も来た。そして、その次の日も。匠造は、自分の技術が誰かに伝わるかもしれないという、微かな希望を胸に抱き始めていた。