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柔道部のない島の中学生が挑んだ県大会

三崎[みさき]島[とう]には、信号[しんごう]がひとつもない。コンビニもない。そして、柔道[じゅうどう]部[ぶ]もない。

中田[なかた]蓮[れん]は、その島[しま]で育っ[そだっ]た中学[ちゅうがく]二[に]年生[ねんせい]だ。彼[かれ]は柔道[じゅうどう]が好き[すき]だったが、島[しま]に道場[どうじょう]はなかった。一番[いちばん]近い[ちかい]道場[どうじょう]は、フェリーで一[いち]時間[じかん]半[はん]かかる本土[ほんど]にある。

それでも蓮[れん]は、あきらめなかった。

島[しま]にひとりだけ、元[もと]柔道家[じゅうどうか]がいた。漁師[りょうし]の田村[たむら]さんという七十[ななじゅう]歳[さい]の老人[ろうじん]だ。島[しま]の人[ひと]たちは、田村[たむら]さんが若い[わかい]頃[ころ]、地方[ちほう]大会[たいかい]で何度[なんど]も優勝[ゆうしょう]したことがあると知っ[しっ]ていた。でも、田村[たむら]さん自身[じしん]はそのことをあまり話さ[はなさ]なかった。

「教え[おしえ]てください」と蓮[れん]が頼ん[たのん]だとき、田村[たむら]さんは首[くび]を横[よこ]に振っ[ふっ]た。「わしはもう年寄り[としより]だ。膝[ひざ]も悪い[わるい]。教え[おしえ]られるものは何[なん]もない」

蓮[れん]は次の日[つぎのひ]も来[き]た。その次の日[つぎのひ]も来[き]た。一[いち]週間[しゅうかん]後[ご]、田村[たむら]さんはため息[ためいき]をついて、「しかたない」と言っ[いっ]た。

それから一[いち]年間[ねんかん]、蓮[れん]は毎朝[まいあさ]、田村[たむら]さんの家[いえ]の裏[うら]にある板の間[いたのま]で練習[れんしゅう]した。正式[せいしき]なマットはなかった。ただの木[き]の床[ゆか]だ。転ぶ[ころぶ]と痛い[いたい]。何度[なんど]も、体[からだ]に青あざ[あおあざ]を作っ[つくっ]た。

田村[たむら]さんの教え[おしえ]方[かた]は、試合[しあい]のテクニックよりも、体[からだ]の使い方[つかいかた]を重視[じゅうし]していた。「足[あし]の裏[うら]で地面[じめん]を感じろ[かんじろ]」「力[ちから]じゃない。タイミングだ」そんな言葉[ことば]を、蓮[れん]は何百[なんびゃく]回[かい]も聞い[きい]た。

春[はる]になって、県[けん]の中学生[ちゅうがくせい]柔道[じゅうどう]大会[たいかい]の予選[よせん]があった。蓮[れん]は島[しま]を出[で]て、はじめて公式[こうしき]試合[しあい]に出[で]た。本土[ほんど]の選手[せんしゅ]たちは、ちゃんとした道場[どうじょう]で毎日[まいにち]何時間[なんじかん]も練習[れんしゅう]していた。蓮[れん]とは、練習[れんしゅう]環境[かんきょう]がまったく違う[ちがう]。

「勝てる[かてる]わけがない」と、蓮[れん]は心[こころ]の中[なか]で思っ[おもっ]ていた。

でも、一[いち]回戦[かいせん]は勝っ[かっ]た。二[に]回戦[かいせん]も勝っ[かっ]た。蓮[れん]自身[じしん]が一番[いちばん]驚い[おどろい]ていた。相手[あいて]が力[ちから]で攻め[せめ]てきたとき、蓮[れん]は力[ちから]で返さ[かえさ]なかった。タイミングを待っ[まっ]て、相手[あいて]の動き[うごき]を利用[りよう]した。それは、田村[たむら]さんが一[いち]年間[ねんかん]かけて蓮[れん]に教え[おしえ]てきたことだった。

三[さん]回戦[かいせん]で、蓮[れん]は負け[まけ]た。相手[あいて]は県[けん]内[ない]で有名[ゆうめい]な道場[どうじょう]の選手[せんしゅ]で、技術[ぎじゅつ]も体力[たいりょく]も蓮[れん]より上[うえ]だった。試合[しあい]が終わっ[おわっ]たとき、蓮[れん]は悔しく[くやしく]て、少し[すこし]涙[なみだ]が出[で]そうになった。

でも、泣か[なか]なかった。

島[しま]に帰っ[かえっ]たとき、田村[たむら]さんは港[みなと]で待っ[まっ]ていた。蓮[れん]が結果[けっか]を話す[はなす]と、田村[たむら]さんはただうなずいた。そして、こう言っ[いっ]た。

「三[さん]回戦[かいせん]まで勝っ[かっ]たか。悪く[わるく]ないな」

「でも負け[まけ]ました」

「負け[まけ]た試合[しあい]は、勝っ[かっ]た試合[しあい]より、ずっと長く[ながく]覚え[おぼえ]ているものだ」

蓮[れん]には、その言葉[ことば]の意味[いみ]がすぐにはわからなかった。しかし、夜[よる]、海[うみ]を見[み]ながら一人[ひとり]で考え[かんがえ]ていると、少し[すこし]だけわかってきた気[き]がした。

来年[らいねん]もある。もっと強く[つよく]なれる。

田村[たむら]さんが若い[わかい]頃[ころ]に本当[ほんとう]に優勝[ゆうしょう]したかどうか、蓮[れん]にはまだわからない。でも、それはもう関係[かんけい]ないと思っ[おもっ]た。

三崎[みさき]島[とう]には、信号[しんごう]もない。コンビニもない。柔道[じゅうどう]部[ぶ]もない。

それでも蓮[れん]は、もう一度[いちど]、県[けん]大会[たいかい]に行く[いく]つもりだ。