Faderens bankbog, som han ikke havde brugt i fyrre år
B2 · Relationships & Drama
真由が父の死を知ったのは、東京の警察からの電話だった。「渡辺健一郎さんのご遺族の方でしょうか」。見知らぬ声が、淡々と告げた。孤独死。発見は死後三日。
真由は受話器を持ったまま、しばらく動けなかった。悲しいとは言えなかった。父親という感覚がなかったからだ。彼女が最後に父の顔を見たのは、五歳の夏——今から三十九年前のことだった。
翌週、真由は葛飾区の古いアパートを訪ねた。管理人が案内してくれたのは、六畳一間の部屋だった。父はここで、ひとりで生き、ひとりで死んだ。「お父様のお荷物は、そのままにしてあります」と管理人が言った。「特に連絡のなかったものは、すべてそちらで処分していただければ」。処分。その言葉が、妙に刺さった。
段ボール箱を一つひとつ開けていくうちに、真由は古い銀行の封筒を見つけた。中には通帳が一冊入っていた。表紙には、鉛筆で書かれた「真由へ」の文字。ページを開くと、最初の入金記録は四十年前。毎月ほぼ同じ金額が入金されていた。引き出しの記録は一度もなかった。現在の残高:四百八十二万三千円。
四十年間、父は毎月この口座に入金し続けていた。通帳の後ろに挟まれていた便箋には、弱い人間ゆえに逃げたという後悔と、使い道はお前が決めていいという娘への思いが綴られていた。健一郎と記された最後の手紙を読み、真由は父をただの臆病者とは呼べない気がした。
アパートを出るとき、真由は通帳を鞄に入れた。電車の中で、老人ホームにいる母に電話をかけようとしたが、止まった。母はこの通帳のことを知っていたのだろうか。その答えによって、何かが変わるかもしれない。真由は窓の外に流れる夜の東京を眺めながら、四十年分の「三月円」がどこかで積み重なっていることを感じていた。