La flor en peligro de extinción que floreció en el pueblo abandonado de Okutama
B2 · Nature & Adventure
九月の末、植物学者の三上梓はスマートフォンの画面を何度も見直した。送り主は「山の友人」と名乗っただけで、それ以上の連絡はない。写真は粒が粗く、ピントも甘かったが、それでも梓の目は一点に釘付けになった。白い花びらに細かい切れ込みが入り、中心から薄紫の筋が走っている。カワラノギクだ。絶滅危惧ⅠA類。東京都の多摩川流域で自生が確認されたのは、二十年以上も前のことである。写真の背景には、苔むした石垣と崩れかけた木の柱が写っていた。「奥多摩・入山沢」とだけ添えられたキャプションに、梓は翌朝、始発のホリデー快速で応えた。
奥多摩駅を降りると、空気がすぐに変わった。東京都内だというのに、ここには都市の喧騒がまったくない。杉の林が山の斜面をびっしりと覆い、その隙間から沢の音が細く聞こえてくる。梓はバスを乗り継ぎ、さらに舗装の途切れた林道を一時間歩いた。入山沢集落跡への道は、地図上では破線になっていた。実際に歩いてみると、それは「道」というより「かつて道だった場所」だった。ススキが胸の高さまで伸び、朽ちた丸太が横たわり、足元には黒い腐葉土が柔らかく沈む。もし誰かに見つかったとしたら、確かに隠れ場所としては最適だ。梓は独りごちた。花についてではなく、この場所全体のことを言っているのだと、自分でもすぐに気づいた。
集落の跡に入ったのは、正午過ぎだった。石垣が段々に重なり、かつては棚田だったらしい平地が続く。家屋の土台だけが残り、そこに木が根を張っていた。梓は写真と見比べながら、崩れた納屋の残骸を回り込んだ。そして、見た。石垣の割れ目から、花が一株だけ伸びていた。茎は細く、白い花びらが外向きに開いている。中心の薄紫は、写真より鮮やかだった。踏まれた形跡はなく、虫食いもない。ただ静かに、そこにあった。梓はしゃがみ込んで、ルーペを取り出した。葉の形、茎の毛の密度、花びらの切れ込みの角度。すべてが一致する。間違いない。
カメラのシャッターを押す前に、梓は少し迷った。この花の存在を報告すれば、当然ながら確認調査が入るだろう。研究者が何人も来て、周辺が踏み荒らされるかもしれない。その前に情報が漏れれば、採集マニアが動く可能性もある。絶滅危惧種の自生地が公開された途端に消えてしまった事例を、梓はいくつも知っていた。かといって、黙っているのも違う。研究者としての梓には、記録する義務がある。そして適切な保護措置をとるためには、公的機関の力が必要だ。結局、梓は三枚だけ撮った。場所が特定できるランドマークは意図的に外し、花と、葉と、株元だけを記録した。GPSのデータは、一定の誤差をもたせた数値に書き換えた。信頼できる同僚に、まず一人だけ連絡する。それだけでいい。
帰り道、梓は来た道を引き返しながら、自分がしたことの意味を考え続けた。正しかったのか、という問いに、まだ答えは出ていない。でも、あの花が今日もそこに咲いているという事実は変わらない。二十年以上、誰にも見つからずに。それ自体が、一つの証明だと思った。人間の目が届かないところで、何かが生き続けている。奥多摩の杉林は、帰りの道でも変わらず静かだった。沢の音だけが、ずっと梓の後ろをついてきた。