奈津子[なつこ]、今[いま]いるか。
少し[すこし]、変[へん]なことがあった。
お父さん[おとうさん]どうしたの
変[へん]なことって?
「野分[のわけ]」の今月[こんげつ]号[ごう]を読ん[よん]でいた。
投稿[とうこう]欄[らん]に、お母さん[おかあさん]の名前[なまえ]があった。
……え
どういうこと?
「立川[たちかわ]文子[ふみこ](霞[かすみ]文子[ふみこ])」と書い[かい]てある。
本名[ほんみょう]とペンネームをかっこで並べる[ならべる]書き方[かきかた]だ。お母さん[おかあさん]だけがしていた。
お母さん[おかあさん]は今年[ことし]三[さん]月[がつ]に亡くなっ[なくなっ]た。雑誌[ざっし]はこの十[じゅう]月[がつ]号[ごう]だ。
ちょっと待っ[まっ]て
それ本当[ほんとう]に?
何度[なんど]見[み]ても同じ[おなじ]だ。
句[く]まで載っ[のっ]ている。
なんて書い[かい]てあるの
「冬ざれ[ふゆざれ]や 声[こえ]なき便り[たより] 春[はる]届く[とどく]」
……
お父さん[おとうさん]
お母さん[おかあさん]の句[く]だと思う[おもう]。
言葉[ことば]の選び方[えらびかた]も、季語[きご]の置き[おき]方[かた]も、お母さん[おかあさん]らしい。
ただ、なぜ今頃[いまごろ]、が分から[わから]ない。
亡くなる[なくなる]前[まえ]に投稿[とうこう]してたんじゃないかな
掲載[けいさい]が遅れる[おくれる]ことってあるよね、きっと
その可能性[かのうせい]はある。
だが確認[かくにん]しないと落ち着か[おちつか]ない。
「野分[のわけ]」の編集部[へんしゅうぶ]に問い合わせ[といあわせ]てみるべきか。
うん、絶対[ぜったい]したほうがいい
連絡先[れんらくさき]調べる[しらべる]
「野分[のわけ]」編集部[へんしゅうぶ]、LINEで問い合わせ[といあわせ]できるみたい
宮本[みやもと]さんって方[ほう]をここに招待[しょうたい]してもいい?
直接[ちょくせつ]話し[はなし]てもらったほうが早い[はやい]と思う[おもう]から
頼む[たのむ]。
奈津子[なつこ]が宮本[みやもと]恵子[けいこ]をグループに追加[ついか]した。
はじめまして。野分[のわけ]編集部[へんしゅうぶ]の宮本[みやもと]と申し[もうし]ます。
どのようなご相談[そうだん]でしょうか。
宮本[みやもと]さん、はじめまして。立川[たちかわ]浩[ひろし]と申し[もうし]ます。
今月[こんげつ]号[ごう]の投稿[とうこう]欄[らん]に「立川[たちかわ]文子[ふみこ](霞[かすみ]文子[ふみこ])」という名前[なまえ]で句[く]が掲載[けいさい]されておりますが、立川[たちかわ]文子[ふみこ]は私[わたくし]の妻[つま]で、今年[ことし]三[さん]月[がつ]に他界[たかい]しております。
誰[だれ]がこの句[く]を投稿[とうこう]したのかを確認[かくにん]していただくことはできますか。
立川[たちかわ]様[さま]。
ご逝去[せいきょ]のこと、存じ[ぞんじ]ませんでした。
少々[しょうしょう]お時間[じかん]をください。確認[かくにん]してまいります。
お父さん[おとうさん]、大丈夫[だいじょうぶ]?
ああ。句[く]を何度[なんど]も読ん[よん]でいる。
「冬ざれ[ふゆざれ]や 声[こえ]なき便り[たより] 春[はる]届く[とどく]」
見れ[みれ]ば見る[みる]ほど、お母さん[おかあさん]だと思う[おもう]。
うん
春[はる]、届い[とどい]たね
妻[つま]の書き物[かきもの]机[つくえ]に置か[おか]れた古い[ふるい]硯[すずり]
お母さん[おかあさん]の硯[すずり]だ…
久しぶり[ひさしぶり]に見[み]た
机[つくえ]の引き出し[ひきだし]に、まだ入っ[はいっ]ていた。
ずっと触れ[ふれ]られなかったのに、今日[きょう]は自然[しぜん]に手[て]が伸び[のび]た。
あのさ……私[わたくし]もね、最初[さいしょ]ちょっと怖かっ[こわかっ]たんだよ正直[しょうじき]。誰[だれ]かが名前[なまえ]を使っ[つかっ]てるんじゃないかって。でも、あの句[く]読ん[よん]だらさ、絶対[ぜったい]お母さん[おかあさん]だって分かっ[わかっ]た。「声[こえ]なき便り[たより]」って……うん。そうだよね。ごめん、うまく言え[いえ]なくて。
お待た[また]せいたしました。確認[かくにん]が取れ[とれ]ました。
こちらの句[く]は、昨年[さくねん]十二[じゅうに]月[がつ]に、立川[たちかわ]文子[ふみこ]様[さま]ご本人[ほんにん]から郵便[ゆうびん]でお送り[おくり]いただいたものです。
投稿[とうこう]が重なり[かさなり]、掲載[けいさい]が今月[こんげつ]号[ごう]になりました。
ご逝去[せいきょ]後[ご]の掲載[けいさい]となってしまったこと、編集部[へんしゅうぶ]として心[こころ]よりお詫び[わび]申し上げ[もうしあげ]ます。
そうでしたか。
昨年[さくねん]十二[じゅうに]月[がつ]。
十二[じゅうに]月[がつ]って……
お母さん[おかあさん]、その頃[ころ]もう入退院[にゅうたいいん]してたよね
そうだ。体[からだ]が辛い[つらい]時期[じき]だった。
それでも、投稿[とうこう]していたとは知ら[しら]なかった。
一[いち]点[てん]、お伝え[つたえ]してもよいでしょうか。
投稿[とうこう]封筒[ふうとう]に、短い[みじかい]メモが同封[どうふう]されておりました。
「掲載[けいさい]が来春[らいしゅん]以降[いこう]になっても構い[かまい]ません」と記さ[しるさ]れておりました。
……
え
つまり、お母さん[おかあさん]は分かっ[わかっ]ていたのか。
春[はる]には、もう自分[じぶん]がいないかもしれない、と。
断言[だんげん]はできませんが……。
私[わたくし]どもも、こうしてご連絡[れんらく]いただいて、初めて[はじめて]事情[じじょう]を知り[しり]ました。
立川[たちかわ]様[さま]にお伝え[つたえ]できて、よかったと思っ[おもっ]ております。
素晴らしい[すばらしい]句[く]でした。心[こころ]よりご冥福[めいふく]をお祈り[いのり]申し上げ[もうしあげ]ます。
ありがとうございます、宮本[みやもと]さん
本当[ほんとう]にありがとうございました
こちらこそ。どうぞお大事[だいじ]になさってください。
宮本[みやもと]恵子[けいこ]がグループから退出[たいしゅつ]した。
お父さん[おとうさん]……
大丈夫[だいじょうぶ]だ。
大丈夫[だいじょうぶ]じゃないよそれ
少し[すこし]、泣い[ない]てしまった。
老人[ろうじん]が泣く[なく]のは、みっともないな。
みっともなくない
私[わたくし]も泣い[ない]てるから😭
そうか。
お母さん[おかあさん]は、分かっ[わかっ]て書い[かい]たんだ。
声[こえ]がなくなった後[あと]でも届く[とどく]ように、と思っ[おもっ]て。
「声[こえ]なき便り[たより]」という言葉[ことば]が、今[いま]になってずっしりと重い[おもい]。
うん
でも届い[とどい]たよ、ちゃんと
そうだな。
届い[とどい]た。
ねえ、お父さん[おとうさん]。ご飯[ごはん]食べ[たべ]た?
忘れ[わすれ]ていた。
もう😭
今[いま]から行く[いく]
来[こ]なくていい。遠い[とおい]だろう。
近く[ちかく]のスーパーで何[なん]か買っ[かっ]て行く[いく]から
一緒[いっしょ]に食べよ[たべよ]
……そうしてもらえると、助かる[たすかる]。
すぐ行く[いく]ね
ありがとう。
奈津子[なつこ]、来る[くる]前[まえ]に一[ひと]つだけ。
「野分[のわけ]」の次号[じごう]に、私[わたくし]も句[く]を投稿[とうこう]してみようかと思っ[おもっ]ている。
え、ほんとに?!
お父さん[おとうさん]が??
何十[なんじゅう]年[ねん]も、お母さん[おかあさん]の隣[となり]で俳句[はいく]を眺め[ながめ]ていただけだった。
そろそろ、返事[へんじ]を書い[かい]てもいいかもしれない。
🌸
絶対[ぜったい]書い[かい]て
うまくできるかは分から[わから]ないが。
大丈夫[だいじょうぶ]
お母さん[おかあさん]に届く[とどく]よ、きっと
……そうだな。
きっと届く[とどく]。