Den siste ballen på Koshien
B1 · Sports
マウンドの上[うえ]に立っ[たっ]た瞬間[しゅんかん]、田村[たむら]健二[けんじ]は気づい[きづい]た。スタジアムが静か[しずか]すぎる、と。
九[きゅう]回[かい]の裏[うら]、ツーアウト、満塁[まんるい]。西川[にしかわ]高校[こうこう]は一点[いってん]リードしている。しかし、相手[あいて]の東海[とうかい]高校[こうこう]のクリーンアップバッターが打席[だせき]に入っ[はいっ]てきた。健二[けんじ]の足[あし]が少し[すこし]震え[ふるえ]た。
三[さん]年[ねん]前[まえ]のことを思い出し[おもいだし]た。
あの夏[なつ]、健二[けんじ]はテレビの前[まえ]に座っ[すわっ]て、兄[あに]の勇太[ゆうた]が甲子園[こうしえん]の決勝[けっしょう]で投げる[なげる]のを見[み]ていた。勇太[ゆうた]は当時[とうじ]エースで、チームのヒーローだった。しかし最終回[さいしゅうかい]、勇太[ゆうた]は一[いち]球[きゅう]を投げ[なげ]、それがホームランになってしまった。チームは負け[まけ]た。
健二[けんじ]は当時[とうじ]、何[なん]も言え[いえ]なかった。負け[まけ]た兄[あに]に何[なん]と言え[いえ]ばいいか、わからなかったのだ。「なんで打た[うた]れたんだ」とさえ思っ[おもっ]ていた。中学生[ちゅうがくせい]だった自分[じぶん]には、あの一[いち]球[きゅう]がどれだけ重い[おもい]ものだったか、まったく理解[りかい]できていなかった。
それから三[さん]年[ねん]。今日[きょう]、健二[けんじ]は同じ[おなじ]場所[ばしょ]に立っ[たっ]ている。
昨夜[さくや]、兄[あに]から電話[でんわ]があった。
「健二[けんじ]、甲子園[こうしえん]のマウンドはすごく広く[ひろく]感じる[かんじる]ぞ。でもな、一番[いちばん]大切[たいせつ]なことを忘れる[わすれる]な。どんな結果[けっか]でも、お前[おまえ]は一人[ひとり]じゃない。後ろ[うしろ]には仲間[なかま]がいる。」
健二[けんじ]はそのとき、「うん、わかった」とだけ答え[こたえ]た。でも本当[ほんとう]はよく意味[いみ]がわからなかった。
今[いま]、その言葉[ことば]の意味[いみ]がやっとわかった気[き]がした。
キャッチャーの村田[むらた]がサインを出し[だし]た。外角[がいかく]へのストレート。健二[けんじ]は首[くび]を振っ[ふっ]た。村田[むらた]が別[べつ]のサインを出し[だし]た。チェンジアップ。健二[けんじ]は少し[すこし]考え[かんがえ]てから、うなずいた。
深呼吸[しんこきゅう]をした。グラブの中[なか]でボールをゆっくりと握っ[にぎっ]た。内野[ないや]手[て]たちが構え[かまえ]ているのが見え[みえ]た。外野[がいや]手[て]たちも動か[うごか]なかった。みんなが、この一[いち]球[きゅう]を待っ[まっ]ていた。
健二[けんじ]は足[あし]を上げ[あげ]た。そして、全力[ぜんりょく]で腕[うで]を振っ[ふっ]た。
ボールは低く[ひくく]、外[そと]に逃げる[にげる]ように曲がっ[まがっ]た。バッターのバットが空[そら]を切っ[きっ]た。
「ストライク!バッターアウト!」
スタジアムが爆発[ばくはつ]したように声[こえ]が上がっ[あがっ]た。西川[にしかわ]高校[こうこう]のナインがマウンドに向かっ[むかっ]て走っ[はしっ]てきた。村田[むらた]が健二[けんじ]に飛びつい[とびつい]た。「やったぞ、健二[けんじ]!」涙[なみだ]が出[で]てきた。
しばらくして、整列[せいれつ]が終わり[おわり]、みんなで引き上げる[ひきあげる]とき、健二[けんじ]はもう一度[いちど]甲子園[こうしえん]のマウンドを見[み]た。あの白い[しろい]プレートが、三[さん]年[ねん]前[まえ]と同じ[おなじ]ように光っ[ひかっ]ていた。
兄[あに]はここで負け[まけ]た。しかし今日[きょう]まで、ずっと野球[やきゅう]を続け[つづけ]た。今[いま]は地元[じもと]の社会人[しゃかいじん]チームで投げ[なげ]ている。健二[けんじ]はそのことを、これまでたいして気[き]にしていなかった。
でも、初めて[はじめて]わかった。
兄[あに]はあの一[いち]球[きゅう]を、ずっと背負っ[せおっ]てきたのだ。そして、それでも投げ[なげ]続け[つづけ]た。
ロッカールームに入る[はいる]前[まえ]に、健二[けんじ]はスマートフォンを取り出し[とりだし]て、兄[あに]にメッセージを送っ[おくっ]た。
「兄貴[あにき]、俺[おれ]、ちゃんと投げ[なげ]られたよ。……あの日[ひ]のこと、今日[きょう]まで何[なん]も言え[いえ]なくてごめん。ありがとう。」
返信[へんしん]はすぐに来[き]た。
「知っ[しっ]てた。よくやった。」
健二[けんじ]は笑っ[わらっ]た。涙[なみだ]が一[いち]粒[つぶ]、頬[ほお]を伝っ[つたっ]た。