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Partitura muzicală lăsată în urmă într-un buncăr din Okinawa

壕[ごう]の中[なか]は、外[そと]の世界[せかい]とは別[べつ]の時間[じかん]が流れ[ながれ]ていた。六[ろく]月[がつ]の沖縄[おきなわ]。地上[ちじょう]では砲声[ほうせい]が続き[つづき]、岩盤[がんばん]が震える[ふるえる]たびに、壕[ごう]の天井[てんじょう]から細かい[こまかい]砂[すな]が降り注い[ふりそそい]だ。ランプの薄い[うすい]光[ひかり]の中[なか]、二十二[にじゅうに]歳[さい]の宮城[みやぎ]ハルは、手帳[てちょう]の白い[しろい]ページをじっと見つめ[みつめ]ていた。

ハルは、戦争[せんそう]が始まる[はじまる]前[まえ]、首里[しゅり]の女[おんな]学校[がっこう]で音楽[おんがく]を教え[おしえ]ていた。ピアノが好き[すき]で、自分[じぶん]でも小さな[ちいさな]曲[きょく]を作っ[つくっ]たことがあった。しかし今[いま]、この壕[ごう]の中[なか]にピアノはない。楽器[がっき]はおろか、声[こえ]を出す[だす]ことさえはばかられた。それでも、頭[あたま]の中[なか]で音楽[おんがく]は鳴り[なり]続け[つづけ]ていた。

「ハル先生[せんせい]」と、隣[となり]に座っ[すわっ]ていた少女[しょうじょ]が小声[こごえ]で言っ[いっ]た。十六[じゅうろく]歳[さい]の照屋[てるや]トミ、ハルが教え[おしえ]た生徒[せいと]の一人[ひとり]だ。「何[なん]を書い[かい]ているんですか」「曲[きょく]」とハルは答え[こたえ]た。「もし私[わたくし]が何[なん]かを……残せる[のこせる]としたら、これしかないから」トミは少し[すこし]黙っ[だまっ]た。「歌え[うたえ]ますか」「ここでは無理[むり]よ」ハルは苦笑い[にがわらい]した。「でも、こうして音符[おんぷ]に書い[かい]ておけば、いつか誰[だれ]かが弾い[ひい]てくれるかもしれない」もし生き残れ[いきのこれ]たなら、という言葉[ことば]を、ハルは飲み込ん[のみこん]だ。

ハルが作っ[つくっ]ていたのは、沖縄[おきなわ]の民謡[みんよう]の旋律[せんりつ]をもとにした小品[しょうひん]だった。子ども[こども]の頃[ころ]、祖母[そぼ]が歌っ[うたっ]てくれた歌[うた]。その歌[うた]は、海[うみ]と風[かぜ]と、帰っ[かえっ]てくる人[ひと]を待つ[まつ]女[おんな]の話[はなし]だった。戦争[せんそう]の前[まえ]は、その旋律[せんりつ]がひどく懐かしい[なつかしい]ものに聞こえ[きこえ]た。今[いま]は、それがまったく違う[ちがう]重さ[おもさ]を持っ[もっ]ていた。鉛筆[えんぴつ]の芯[しん]は短く[みじかく]なっていた。紙[かみ]は限ら[かぎら]れていた。ハルは五[ご]線[せん]を自分[じぶん]で引き[ひき]、音符[おんぷ]を丁寧[ていねい]に書き込ん[かきこん]だ。強弱[きょうじゃく]記号[きごう]も、フレーズの指示[しじ]も、すべて小さく[ちいさく]、しかし正確[せいかく]に。まるで誰[だれ]かに演奏[えんそう]するための、本物[ほんもの]の楽譜[がくふ]を作る[つくる]ように。

「誰[だれ]に聴か[きか]せたいんですか」とトミが聞い[きい]た。ハルはしばらく考え[かんがえ]た。「わからない。でも……聴い[きい]てくれる人[ひと]が、どこかにいるはずだと思っ[おもっ]て」六[ろく]月[がつ]二十三[にじゅうさん]日[にち]、組織的[そしきてき]な抵抗[ていこう]が終わっ[おわっ]た後[あと]も、多く[おおく]の人[ひと]がまだ壕[ごう]に残っ[のこっ]ていた。ハルとトミがその後[そのあと]どうなったか、記録[きろく]は途切れ[とぎれ]ている。楽譜[がくふ]が見つかっ[みつかっ]たのは、それから五十[ごじゅう]年[ねん]以上[いじょう]が経っ[たっ]た後[あと]のことだ。

那覇市[なはし]の郊外[こうがい]で行わ[おこなわ]れた発掘[はっくつ]調査[ちょうさ]の中[なか]で、崩れ[くずれ]かけた壕[ごう]の奥[おく]から、布[ぬの]に包ま[つつま]れた手帳[てちょう]が出[で]てきた。ページは湿気[しっけ]でほぼ判読[はんどく]不能[ふのう]だったが、最後[さいご]の数[すう]ページだけが、かろうじて残っ[のこっ]ていた。そこには、五[ご]線[せん]と音符[おんぷ]が書か[かか]れていた。音楽学[おんがくがく]者[しゃ]の田中[たなか]敬一[けいいち]がその手帳[てちょう]を受け取っ[うけとっ]た時[とき]、彼[かれ]はすぐに気づい[きづい]た。これは、演奏[えんそう]できる。

田中[たなか]は数ヶ月[すうかげつ]かけて、かすれた音符[おんぷ]を一[ひと]つ一[ひと]つ読み取っ[よみとっ]た。完全[かんぜん]ではなかった。いくつかの音[おと]は推測[すいそく]するしかなかった。しかし旋律[せんりつ]の骨格[こっかく]は残っ[のこっ]ていた。沖縄[おきなわ]の民謡[みんよう]の香り[かおり]を持ち[もち]ながら、どこか静か[しずか]で、諦め[あきらめ]ではなく、むしろ穏やか[おだやか]な祈り[いのり]のような音楽[おんがく]だった。

田中[たなか]は、この曲[きょく]をピアノのために編曲[へんきょく]し、翌年[よくねん]、那覇[なは]で演奏会[えんそうかい]を開い[ひらい]た。曲名[きょくめい]は、手帳[てちょう]に書か[かか]れていたたった一行[いっこう]の言葉[ことば]を借り[かり]た。「待つ[まつ]人[ひと]へ」。演奏[えんそう]が終わっ[おわっ]た後[あと]、会場[かいじょう]は静まり返っ[しずまりかえっ]た。拍手[はくしゅ]が来る[くる]までに、少し[すこし]時間[じかん]がかかった。田中[たなか]は後[あと]に、「あの沈黙[ちんもく]こそが、本当[ほんとう]の応答[おうとう]だったと思う[おもう]」と語っ[かたっ]ている。ハルが、誰[だれ]かに聴か[きか]せたいと思っ[おもっ]て書い[かい]た音楽[おんがく]は、半[はん]世紀[せいき]の時[とき]を経[へ]て、確か[たしか]に届い[とどい]た。