神在月に出雲へ向かった神が帰らなかった理由
B2 · Myths & Legends
十[じゅう]月[がつ]になると、八百万[やおよろず]の神々[かみがみ]は出雲[いずも]へと向かう[むかう]。この月[つき]を神在[かみあり]月[つき]と呼ぶ[よぶ]のは、日本[にっぽん]中[ちゅう]の神[かみ]が出雲大社[いずもたいしゃ]に集まり[あつまり]、人々[ひとびと]の縁[えん]や来年[らいねん]の収穫[しゅうかく]について話し合う[はなしあう]からだ。残さ[のこさ]れた各地[かくち]の神社[じんじゃ]は、神[かみ]のいない月[つき]——神無月[かんなづき]——となる。人々[ひとびと]はそのことを知っ[しっ]ていた。しかし、浦風[うらかぜ]村[むら]の小さな[ちいさな]祠[ほこら]に祀ら[まつら]れた綱代[あじろ]の神[かみ]が、その会議[かいぎ]から二[に]度[ど]と帰ら[かえら]なかったことは、誰[だれ]も予想[よそう]していなかった。
綱代[あじろ]の神[かみ]は、長い[ながい]年月[としつき]をかけて村人[むらびと]たちを静か[しずか]に見守っ[みまもっ]てきた。漁師[りょうし]が嵐[あらし]に巻き込ま[まきこま]れれば、風[かぜ]を緩め[ゆるめ]、船[ふね]を岸[きし]へと導い[みちびい]た。子供[こども]が崖[がけ]から落ち[おち]そうになれば、足元[あしもと]の土[つち]を固く[かたく]した。神[かみ]としては小さな[ちいさな]存在[そんざい]だったが、村[むら]にとっては欠かせ[かかせ]ない守り手[まもりて]だった。神[かみ]は、村[むら]の営み[いとなみ]そのものに溶け込ん[とけこん]でいたのだ。
その年[とし]の出雲[いずも]の会議[かいぎ]は、いつにも増し[まし]て重苦しい[おもくるしい]雰囲気[ふんいき]だった。大神[おおみわ]たちが集う[つどう]広間[ひろま]の中央[ちゅうおう]には、よりあわされた無数[むすう]の赤い[あかい]糸[いと]が積ま[つま]れていた。それぞれの糸[いと]は人間[にんげん]の縁[えん]を表し[あらわし]ている。大国[たいこく]主命[しゅうめい]の右腕[みぎうで]とも呼ば[よば]れる福の神[ふくのかみ]が、今年[ことし]切る[きる]べき糸[いと]の束[たば]を卓上[たくじょう]に広げ[ひろげ]た。その光景[こうけい]は、まるで運命[うんめい]の選別[せんべつ]を行う[おこなう]冷徹[れいてつ]な儀式[ぎしき]のようだった。
「これを断ち切る[たちきる]ことで、次[つぎ]の縁[えん]が生まれる[うまれる]」と福の神[ふくのかみ]は静か[しずか]に言っ[いっ]た。「これは摂理[せつり]だ。個人[こじん]の情[じょう]に流さ[ながさ]れてはならない」
綱代[あじろ]の神[かみ]は、束[たば]の中[なか]の一[いち]本[ぽん]に目[め]を止め[とめ]た。その糸[いと]には、見覚え[みおぼえ]があった。村[むら]の漁師[りょうし]、庄二[しょうじ]の糸[いと]だった。庄二[しょうじ]は若い[わかい]男[おとこ]で、隣村[りんそん]の娘[むすめ]——波江[なみえ]という名[な]の、海[うみ]の色[いろ]をした目[め]をした娘[むすめ]——と深く[ふかく]愛し合っ[あいしあっ]ていた。綱代[あじろ]の神[かみ]はその二人[ふたり]の縁[えん]を、何[なん]年[ねん]もかけて静か[しずか]に育ん[はぐくん]できた。嵐[あらし]の夜[よる]、庄二[しょうじ]が波江[なみえ]の家[いえ]の軒先[のきさき]に宿[やど]を借り[かり]た偶然[ぐうぜん]も、その春[はる]の祭り[まつり]で二人[ふたり]が隣[となり]に座っ[すわっ]た席[せき]の配置[はいち]も、すべて神[かみ]の静か[しずか]な手配[てはい]だった。
「待っ[まっ]てください」。綱代[あじろ]の神[かみ]は立ち上がっ[たちあがっ]た。広間[ひろま]がしんと静まり返っ[しずまりかえっ]た。小さな[ちいさな]祠[ほこら]の神[かみ]が大神[おおみわ]たちの前[まえ]で口[くち]を開く[ひらく]のは、異例[いれい]のことだった。神々[かみがみ]の視線[しせん]が突き刺さる[つきささる]中[なか]、綱代[あじろ]の神[かみ]は毅然[きぜん]として続け[つづけ]た。「その糸[いと]は、私[わたくし]が結ん[むすん]だものです。彼[かれ]らの縁[えん]は、まだ終わっ[おわっ]ていません」
福の神[ふくのかみ]は眉[まゆ]一[ひと]つ動かさ[うごかさ]ず答え[こたえ]た。「それは知っ[しっ]ている。しかし、縁[えん]は永遠[えいえん]ではない。断ち切る[たちきる]ことで、両者[りょうしゃ]に新た[あらた]な道[みち]が開か[ひらか]れる。それがこの会議[かいぎ]の役割[やくわり]だ。お前[おまえ]は神[かみ]としての本分[ほんぶん]を忘れ[わすれ]たのか」
「綱代[あじろ]の神[かみ]よ」と、さらに上位[じょうい]の神[かみ]が静か[しずか]に口[くち]を開い[ひらい]た。声[こえ]は穏やか[おだやか]だったが、その重さ[おもさ]は岩[いわ]のようだった。「お前[おまえ]は長く[ながく]村[むら]にいすぎた。人間[にんげん]に肩入れ[かたいれ]することは、神[かみ]の本分[ほんぶん]に反する[はんする]。その糸[いと]を切る[きる]ことに同意[どうい]するなら、お前[おまえ]は村[むら]に戻れる[もどれる]。拒む[こばむ]なら、出雲[いずも]に留まれ[とまれ]。二[に]度[ど]と村[むら]の土[つち]を踏む[ふむ]ことは許さ[ゆるさ]ない」
これは追放[ついほう]ではなかった。選択[せんたく]だった。綱代[あじろ]の神[かみ]は、広間[ひろま]の天井[てんじょう]を見上げ[みあげ]た。遠く[とおく]、北[きた]の空[そら]の向こう[むこう]に、波[なみ]の音[おと]が聞こえる[きこえる]ような気[き]がした。庄二[しょうじ]の笑顔[えがお]と、波江[なみえ]の声[こえ]が思い浮かん[おもいうかん]だ。神[かみ]は、静か[しずか]に首[くび]を横[よこ]に振っ[ふっ]た。「私[わたくし]は拒み[こばみ]ます」。その言葉[ことば]は、広間[ひろま]にゆっくりと染み込ん[しみこん]でいった。神[かみ]は、自ら[みずから]の存在[そんざい]を賭し[とし]て、二人[ふたり]の未来[みらい]を守る[まもる]ことを選ん[えらん]だのだ。
十一[じゅういち]月[がつ]が来[き]ても、浦風[うらかぜ]村[むら]の祠[ほこら]に神[かみ]は戻ら[もどら]なかった。師走[しわす]になっても、正月[しょうがつ]になっても。祠[ほこら]の中[なか]は空[そら]のままだった。しかし不思議[ふしぎ]なことに、誰[だれ]も不幸[ふこう]になる者[もの]はいなかった。庄二[しょうじ]と波江[なみえ]は翌春[よくはる]に祝言[しゅうげん]を挙げ[あげ]、海[うみ]は穏やか[おだやか]で、子供たち[こどもたち]は健やか[すこやか]だった。村[むら]の古老[ころう]たちは言っ[いっ]た。「神[かみ]様[さま]は、出雲[いずも]が気[き]に入っ[はいっ]たのだろう」。しかし、もっと深く[ふかく]考える[かんがえる]者[もの]はこう思っ[おもっ]た。神[かみ]が帰ら[かえら]なかったのは、罰[ばつ]を受け[うけ]たからではない。自ら[みずから]留まる[とまる]ことを選ん[えらん]だのだ——その選択[せんたく]のために。空[そら]の祠[ほこら]は今[いま]も村[むら]に残っ[のこっ]ている。人々[ひとびと]はそこへ詣でる[もうでる]とき、神[かみ]がいないことを知り[しり]ながらも手[て]を合わせる[あわせる]。そして、ときに誰[だれ]かがこう呟く[つぶやく]。「あの神[かみ]は、人[ひと]を愛し[あいし]すぎたのかもしれない」。その言葉[ことば]が正しい[ただしい]かどうかは、誰[だれ]にも分から[わから]ない。ただ、庄二[しょうじ]の家[いえ]の子孫[しそん]は代々[だいだい]、必ず[かならず]漁[りょう]から無事[ぶじ]に帰っ[かえっ]てきた。神[かみ]の加護[かご]が、形[かたち]を変え[かえ]て今[いま]もそこに残っ[のこっ]ているかのように。