戦後の闇市で生まれたソース焼きそば
B2 · Food & Cuisine
一九四六[いちきゅうよんろく]年[ねん]の夏[なつ]、東京[とうきょう]・上野[うえの]の闇市[やみいち]には、まだ戦争[せんそう]の爪痕[つめあと]である焼け[やけ]野原[のはら]の匂い[におい]が色[いろ]濃く[こく]残っ[のこっ]ていた。空[そら]はどんよりと曇り[くもり]、人々[ひとびと]の顔[かお]には疲労[ひろう]と不安[ふあん]が張り付い[はりつい]ている。そんな混沌[こんとん]とした場所[ばしょ]で、田村[たむら]清[きよし]は今日[きょう]も自分[じぶん]の小さな[ちいさな]屋台[やたい]の前[まえ]に立っ[たっ]ていた。手元[てもと]にあるのは、闇市[やみいち]で手[て]に入れ[いれ]た安い[やすい]小麦粉[こむぎこ]から作っ[つくっ]た細い[ほそい]麺[めん]と、わずかな豚[ぶた]の端[たん]肉[にく]、そしてひとつだけ救い出し[すくいだし]た遺品[いひん]——父[ちち]の店[みせ]で使っ[つかっ]ていたウスターソースの瓶[びん]だった。
戦争[せんそう]から戻っ[もどっ]てきたとき、清[きよし]には本当[ほんとう]に何[なん]もなかった。両親[りょうしん]は空襲[くうしゅう]で亡くなり[なくなり]、家[いえ]も店[みせ]も灰[はい]になった。兄[あに]は「こんな汚い[きたない]市場[しじょう]で商売[しょうばい]するな、恥ずかしい[はずかしい]」と顔[かお]をそむけた。だが清[しん]には、他[た]に生きる[いきる]選択肢[せんたくし]がなかった。闇市[やみいち]は確か[たしか]に非合法[ひごうほう]で、警察[けいさつ]の手入れ[ていれ]が入る[はいる]ことも珍しく[めずらしく]ない。それでも、ここに来[こ]なければ人々[ひとびと]は食べ[たべ]られない。そう自分[じぶん]に言い聞かせ[いいきかせ]ながら、彼[かれ]は毎朝[まいあさ]この場所[ばしょ]に立ち[たち]続け[つづけ]た。
しかし、現実[げんじつ]は厳しかっ[きびしかっ]た。問題[もんだい]は、彼[かれ]の料理[りょうり]が全く[まったく]美味しく[おいしく]ないことだった。麺[めん]は粉[こな]っぽく、肉[にく]は硬く[かたく]、塩[しお]だけでは深み[ふかみ]が出[で]ない。隣[となり]の屋台[やたい]のおばさんが作る[つくる]雑炊[ぞうすい]には毎日[まいにち]長い[ながい]列[れつ]ができるが、清[しん]の前[まえ]には誰[だれ]も並ば[ならば]なかった。彼[かれ]は自分[じぶん]の無力[むりょく]さを突きつけ[つきつけ]られているような気分[きぶん]だった。
「負け[まけ]たのは戦争[せんそう]だけじゃなかったな」。ある夜[よる]、売れ残っ[うれのこっ]た麺[めん]を前[まえ]にして、彼[かれ]はぽつりとつぶやいた。翌朝[よくあさ]、清[きよし]は決意[けつい]を固め[かため]、棚[たな]の奥[おく]に隠し[かくし]ていたソースの瓶[びん]を手[て]に取っ[とっ]た。父[ちち]が生前[せいぜん]、「このソースはイギリス生まれ[うまれ]だ」と言っ[いっ]ていたのを思い出し[おもいだし]た。戦前[せんぜん]、父[ちち]の中華[ちゅうか]料理屋[りょうりや]では洋食[ようしょく]の要素[ようそ]を取り入れ[とりいれ]たメニューがあり、このウスターソースは特別[とくべつ]な場面[ばめん]にだけ使う[つかう]調味料[ちょうみりょう]だった。終戦[しゅうせん]後[ご]は米軍[べいぐん]の払い下げ[はらいさげ]品[ひん]として闇市[やみいち]にも出回っ[でまわっ]ていたが、清[きよし]は父[ちち]の形見[かたみ]のような気[き]がして、自分[じぶん]の商売[しょうばい]には使う[つかう]気[き]になれなかったのだ。
「もったいないか」と思い[おもい]ながらも、彼[かれ]は熱し[ねっし]た鉄板[てっぱん]の上[うえ]の麺[めん]にそっとソースを垂らし[たらし]た。ジュッという音[おと]とともに、甘く[あまく]深い[ふかい]香り[かおり]が立ち上っ[たちのぼっ]た。豚[ぶた]の脂[あぶら]とソースが絡み合い[からみあい]、麺[めん]の表面[ひょうめん]に食欲[しょくよく]をそそる茶色い[ちゃいろい]艶[つや]が生まれ[うまれ]た。清[きよし]は思わ[おもわ]ず息[いき]を飲ん[のん]だ。それは、ただの屋台[やたい]飯[はん]の匂い[におい]ではなかった。廃墟[はいきょ]から立ち上がる[たちあがる]ような、焦げ[こげ]と甘[あま]さが混ざり合っ[まざりあっ]た、どこか懐かしく[なつかしく]て、それでいて見[み]たことのない香り[かおり]だった。
「兄ちゃん[にいちゃん]、それ一杯[いっぱい]くれないか」。隣[となり]のおばさんの孫息子[まごむすこ]が、鼻[はな]をひくひくさせながら近づい[ちかづい]てきた。清[きよし]は少し[すこし]迷っ[まよっ]てから、器[うつわ]に盛っ[もっ]て渡し[わたし]た。少年[しょうねん]は一口[ひとくち]食べ[たべ]て、目[め]を丸く[まるく]した。「うまい。なんだこれ」。その言葉[ことば]は、清[きよし]が何[なん]ヶ月[かげつ]もの間[あいだ]、誰[だれ]からも聞い[きい]たことのなかった言葉[ことば]だった。その夜[よる]、清[きよし]は初めて[はじめて]完売[かんばい]した。
以来[いらい]、彼[かれ]の屋台[やたい]には少し[すこし]ずつ客[きゃく]が来る[くる]ようになった。「ソース焼きそば[やきそば]」と呼ば[よば]れるようになったその料理[りょうり]には、難しい[むずかしい]技術[ぎじゅつ]も高価[こうか]な食材[しょくざい]も必要[ひつよう]としなかった。あるのは安い[やすい]麺[めん]と、使い古し[つかいふるし]た鉄板[てっぱん]と、一[いち]本[ぽん]のソースだけ。それだけで、廃墟[はいきょ]に立つ[たつ]人々[ひとびと]の腹[はら]を満たし[みたし]、一瞬[いっしゅん]だけ日常[にちじょう]というものを取り戻さ[とりもどさ]せてくれた。清[きよし]はのちに、あの瓶[びん]が何[なん]を変え[かえ]たのかをよく考え[かんがえ]た。料理[りょうり]の味[あじ]だけではない。あの香り[かおり]は、今日[きょう]も生き[いき]ていこうという気持ち[きもち]を人々[ひとびと]の胸[むね]に灯し[ともし]たのではないか、と。父[ちち]の形見[かたみ]を使う[つかう]ことへの後ろめた[うしろめた]さは、もうなかった。廃墟[はいきょ]の中[なか]で生まれ[うまれ]たその料理[りょうり]が、やがて日本[にっぽん]の食[しょく]文化[ぶんか]の一部[いちぶ]になるまで、そう時間[じかん]はかからなかった。